昨日のヤマトシジミの記事に対して、1通の匿名メールが届きました。異常型の減少現象―すごく韻を踏んでいる―に対するその方の考えがまとめられたもので、要約すると、「北上侵入直後は耐寒性の低い個体が多く、そのため低温ストレスによって異常が引き起こされていたのだろう。しかし年月に伴い、異常をきたさない耐寒性に優れた個体が自然選択されたため、異常型の出現率は低下したのではないか」という内容。僕もそれに近い考えを持っているし、理にかなった教科書的な解釈だとは思うのですが、これだけでは説明できないところが“不思議”なんです。
この考え方だとまず矛盾するのが、異常型の多発していた頃は<盛夏期でも異常型が出現していた>ということ。青森だからといって夏にまで冷え込むわけではなく、また、盛夏期に得られた斑紋異常個体の翅表が典型的な高温期型(メスの翅表は真っ黒だった)であったことからも、異常をきたすほどの低温ストレスは無かったということが推察できます。しかし、こちらとしても弱いのが、当時ヤマトシジミの個体数は今ほど多くなく、発生地も限られていたため、秋以外に多くの個体数を確認・検討することは叶わなかったという点です。そこを突っ込まれると反論できません。わずか数個体の分母で出現率を語るのは、あまりに暴論なので。
他にも疑問点はあって、それは、<異常型の出現率が一時期まで年々上昇しているようだった>ということです。もちろん、これはあくまで僕の私感で、何の証拠もありません。多いと思えばよく探すようになるので、その辺の条件が一定でないのは如何しようもありません。あー、今思えば標識再捕獲すれば出現率はもっと正確に割り出せたのかな。でもやっぱり分母が小さすぎるし、そんなに多くの個体を何時間も(もしかしたら何日間も)キープしておくのは個体群に与え得るインパクトを考えると現実的じゃないな。―と、話が逸れてしまいましたが、確認した全体数がどうであったかということについては今更知りようがないものの、2000〜2001年は異常型を得ていない(厳密に言えば、僕たちではないけれど2001年にも1例だけ異常型が報告されているらしい)こと、それから、その後2002年から2004年にかけて得られる異常型が次第に多くなったことは事実です。しかし、2005年、2006年と記録的なほど厳しい冬に見舞われ、深浦のヤマトシジミは激減しました。その間、通常の個体に関しても、ろくな数を確認できていません。そんな中で、「それにしても(異常型を)見かけないよね」という話をしていたのですが、2007年、2008年、そして今年2009年と個体数が回復しても、やはり異常型は見つからないまま。いつの間にか、今のような―ある意味健康的な―状態になっていました。
このような事情から、この異常現象を低温ストレスの一言で片付ける考え方に、僕は否定的です。何らかの遺伝的要素が関与していて、もしかしたらそれに気候的要素も加わって、引き起こされた現象なのではないかと思っています。そういった点では、今回メールをくださった方と同じ考えです。しかし、盛夏期に出現した異常個体や、異常型の出現率推移までをも説明しようとすると、そこまで“綺麗な”理論では解釈できません。強いて言うなら、北上侵入時におけるボトルネック効果と、2005〜2006年の厳冬インパクトによるボトルネック効果、この2つによる半偶然的な遺伝的浮動がかなり大きく寄与したのではないかと思っています。半偶然的と表現したのは、偶然性の他に移動性と耐寒性のパラメータが介在していると考えられるためですが、2002年から2004年にかけて異常型が次第に増えていった(気がする)以上、斑紋異常を引き起こす遺伝子が耐寒性に関して劣っていると評価することに違和感を覚えずにはいられません。やはり全てが偶然性の賜物だったのかも知れないし、まだ何か見落としている要素があるのかも
……。だから不思議なんです。
さて、僕は典型的な理系頭で文章下手なので、ブログにもあまり長文書かないのがスタンス(というか人様に読んでもらうほどの文章なんて書けない)なのですが、思い入れの強いチョウだったので、つい長ったらしく理屈っぽいことを書き連ねてしまいました。今思えば、初めてヤマトシジミを青森から見つけたとき―父とタカギさんと、弟も一緒だったっけ?―、僕はまだ小学生でした。発見の瞬間、実は車の中で寝ていたような
……よく覚えてないけど。中学から高校にかけての頃、深浦のヤマトシジミは少しずつ勢力を伸ばし、そして何故か異常が多発するようになりました。ヤマトシジミは被写体として最低の蝶だと常々思っています(草丈より低い所にとまって煩わしいし、光の質を激しく選ぶし、ちょこちょこと煩く飛び回るし、他じゃド普通種のはずだし、だけど撮らないわけにいかない)。でも、可愛いやつです。
2009年10月03日 青森県深浦町